blog non grata

人生どうでも飯田橋

空いろのくれよん

 はっぴいえんどの「空いろのくれよん」の冒頭部分を耳にしてこれははっぴいえんどの「空いろのくれよん」だと言い当てられる人がどれくらいいるであろうか。おそらく「とても少ない」と「ほとんどいない」の中間であろうが、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聴き当てられる人よりは多いかもしれない。ちなみに僕は前者しか聴き当てることができない。 

 ところで「空いろのくれよん」は、はっぴいえんどの不朽の名アルバム「風街ろまん」のなかの一曲である。今日よりももう少し暖かい日のお昼にゆっくり聴きたいようなナンバーだ。 

  33才デザイナーの人が、この曲について言及していた。「アルバムだと次の曲『風をあつめて』はカラオケでもよく聞くが、この曲を歌っている人にはまだ会ったことがない」のだそうだ。確かに「空いろのくれよん」を歌っている人を見たことはない。しかし、そもそも僕はカラオケで「風をあつめて」を歌っている人も、「風をあつめて」を歌いそう(持ち曲にありそう)な人もついぞ見たことがない。これが24才一般大学生と33才デザイナーの生きてきた世界の違いなのだろうか...。 

 話は変わる。あれは小学生の時だっただろうか。サクラクーピーでは、水色のクーピーを、みずいろではなくて、そらいろと呼んでいるが、それに対して母親が「なんかオシャレだよね」と言ったことがあった。当時小学生の僕には「オシャレ」の意味がよく分からなかったので、「オシャレ」というのは「みずいろのことをそらいろとわざわざ呼んでいるような普通と違うこと」くらいにしか捉えていなかった。 

 そして僕はサクラクーピーがみずいろではなくそらいろにしている、ということになんとなく好感を持っていたので、「これからはオシャレに生きていこう」と小学生ながら思ったのであった。こうしてオシャレでもなんでもないただの天邪鬼な人間が出来上がってしまったのだ。



P.S. そんな天邪鬼な僕でも「ビリジアン」はやりすぎだと思う。緑色でいい。山手線の駅に『高輪ゲートウェイ』があるくらいの違和感である。もちろん、例えば新宿駅を『新宿カウボーイ』にして、空いろを『ターコイズブルー』にでもするなら許せるかもしれないが。

https://youtu.be/iSvsdrQEWu0