blog non grata

人生どうでも飯田橋

僕たちゆとり世代ど真ん中組

 買ったばかりのワイヤレスイヤフォンからは、ミハイル・グリンカの「ルスランとリュドミラ序曲」が流れる。冒頭から奏でる高揚感溢れるメロディーが、僕の脈拍を上げていく。自分の顔に自信が漲っていることは、鏡を見ていなくてもわかる。

「ちょっとだけでもやり返す。半分返しだ」

 そう心に誓って、宿直室の扉を開ける。

「おはようございます」と北川は言った。

「おつかれさまです」と僕は答える。

 宿直の業務は夕方五時からであるが、北川は決まって「おはようございます」と言う。ここで「おはようございます」と返してしまえば、途端に彼のペースに引き込まれてしまう。細やかなところにまで慎重に対応した。

 宿直のアルバイトを始めたのは昨年の四月からだ。学生が入る時は必ず社会人とのコンビで入る。仕事内容は電話番や届出の受け取り、館内の戸締りなど、簡単なものばかりだ。

 北川はその社会人のうちのひとりだ。五十三歳の僕の父よりは同じか少し年上に見える。居丈高な物言いをする自尊心がいかにも強そうな中年であった。北川にとって、国立大学に行きながらも、目的もなくフラフラしている僕がいけ好かない人間であったことは明々白々であった。

  電話が鳴った。僕は二回目のコールが鳴り終わらないうちに素早く受話器を取る。 「はい、×××××の宿直室です」 要件を丁寧に聞く。相手が話し終わるまでは、決して遮らない。緊急性と重要性が乏しいと判断をして、翌朝以降に再び電話するよう伝えるつもりでいた。

「その応対はなっていない。変わりなさい」と北川は言うと、強引に僕がとっていた電話を奪う。僕がやっていたのと全く同じやりとりを始める。相手にとってはいい迷惑だろう。電話が終わると、当然のように北川は無意味な注意をしてくる。僕の耳が彼の指摘に傾けることは永遠にないだろう。シェイクスピアがこの現代世界に戻ってくることが永遠にないのと同じように。そもそもしがない学生アルバイトである僕は善管注意義務以上の義務を負う必要はないはずだ。

 それから、暇つぶしに北川から今まで言われた嫌味の回数を計算してみた。SNSを特定され、僕の女装の写真を貶されたこと、「君は認知症患者と同じで、判断能力がないのだから選挙で投票に行くべきではない」と言われたこと、「そうやって人に配慮ができないから女性にモテないのだ」と言われたこと。北川のしたり顔とともに発せられた、罵倒とも取れる数々の嫌味が蘇ってくる。しかし結局のところ、回数は不正確な数字であったし、不正確なその数字にたいして意味があるとも思えなかった。

 半分返し。

 それは僕が何かを言い返すという意味ではない。僕は惨めなイエスマン。戦って職場環境を変えてやる、そんな高尚な強い気持ちはない。半沢直樹じゃないんだから。だからこうやって宿直中にブログに認めている。そして、嫌味を言われたら、愛想笑いをするフリをする。心の中では、傲慢不遜な中年を憐れみながら、ニヤニヤしている。そうやって心理的に僕が上位に立つ。彼が僕を支配しているように見えて、実際には、僕が彼を支配している。

「ちょっと君――」北川が言う。

 始まった。軽いガッツポーズを心の中で決めて、僕はニヤケ、いや、愛想笑いを始めた。 僕の宿直はまだまだこれからだ。

  この話はフィクションである。北川のモデルになった人物がいることは否定しないが、肯定もしない。もしそんな人がいるのであれば、この記事に辿りつかないことを祈るばかりである。あと、戦うことが全てじゃない。なにが「職場での愚痴をSNSで言うのは無駄、直接伝えないと意味がない」だ。愚痴くらい言わせてやれ。正論言っても世界は変わりやしない。

「正しいことをしたければ偉くなれ」

 ドラマ『踊る大捜査線』で、いかりや長介演じる和久さんの名言だ。変えたければまずは偉くなるのが先だ。まあ僕は偉くもなりたくないので、現実を受け入れるが。