blog non grata

人生どうでも飯田橋

Blind Faith

 私は自分の中に信念とか座右の銘といったようなものはないし、人生における目標とかテーマは全く無い。もちろん「お金に困らない生活をしたい」とか「心身健康でいたい」とかそういったことはなんとなく心に思っているけれども、それも所詮は「なんとなく」程度でしかなくて、お金儲けのために積極的に行なっていることも無ければ、体の健康を維持するために心がけているものも無い。困窮に陥ってしまったり、或いは不治の病を患ったりしても、「それもまた人生」くらいに考えている。確かに、もしそのような状況になってしまったら、このような考えを持っていた自分を恨むことになるかもしれない。しかし、少なくとも現在はその程度にしか思っていない。 

 なぜ自分の中でそういったものを設定していないかというと、一つの価値観に凝り固まってしまうということを、とても恐れているからである。これは趣味嗜好においてもそうだし、世界に対して、人間に対して、自分に対しての思想、或いは、政治的主張といったものも含めてである。自分の身の回りの価値観が固定化されているような、物事に対して決めつけているような大人たちの言動を見ると、強烈な違和感を覚える。こうはあるまい、と思う。そういう意味では、ある意味「信念を持たない」という信念を持っているのかもしれない。

 しかしこの考え方は執着心がないことと表裏一体だ。人は時に盲目的な方がいいこともある。例えば、優れたアスリートというのは、勝利に対する病的なまでの執着心があり、当然に疑うことなく「勝利することが絶対である」と信じて戦っているのである。それはハングリー精神と呼ばれ、サッカーの日本人選手が南米の選手などと比較してハングリー精神が足りないと批判されたりするわけだ。

 実際私自身、大学合格に向けて勉強していた時は、京都大学ではないとダメなのだと強く願っていたし、ただひたすら合格するためだけに生活を送っていた。

 今の私にはあの時のようなハングリー精神がない。たまにはこういう考え方が必要で、今はその時だと思う。手段を選ばず何が何でも、という意志が弱い。少しの時間でいいから、自分を騙して、やってみようかと思う。強い気持ちを持って。