blog non grata

人生どうでも飯田橋

ひとり暮らし

ひとり暮らしを始めた。先週末から荷物を運んではいたけど、本格的に住み始めるのは3月20日、今日からだ。大学4年の時に一度だけ退寮して一人暮らしをしていることがあったけど、結局毎日のように寮の談話室まで行って遊んでいたし、基本的に人と内容のない話をダラダラとしていないと寂しくて死んでしまう人間なので、非常に不安である。

今日は朝から家具の組み立ての手伝いに友人が来てくれたので、組み立てもできたし、ダラダラと喋ることもできて楽しかったのでよかった。お昼で帰ってしまったのだが、家で1人でいても何をしていいかわからず、寂しさを紛らわしに途中まで無意味に着いて行ってしまった。結局別れたあとユニクロと無印で4万円近く使ったので「無意味」ではなかったのだが、それはそれで別の意味でも問題だ。

一人旅はめっちゃするし、3週間ひとりで海外とかも平気でやる。ライブとかも大体1人で行く。なのに1人で暮らすということに関しての拒否反応は思いのほか大きい。そのことに今更気づいた。

まあ21世紀の東京の若者として孤独に向き合わねばならない。寂しくて死んでしまうといっても本当に死ぬわけでない。家の中でイヤフォンなんて使わず、スピーカーで音楽を流せるとか、変な独り言を言っても誰も聞いてないとか、変なダンスをするとか色々いいところもある。賃貸の限界はあれど、1人で生活を細工できるのも大きな強みだ。2年で可能な限り家をいじっていきたい。

孤独をあえて楽しむために一つだけ決めたルールがある。うちはメゾネットタイプの家なので、「2階には通信機器を持ち込まない」ということだ。今のインターネット(というかSNS)の「いいね」が占める世界は寂しさの麻薬。否が応でも内省する時間ができるので、せっかくなので2階では孤独に何かに向き合ったり、創作活動をしたり、あるいは身体を休めたり、ラジオを聴いたり、CDを聴いたり、それだけのための部屋にしようと思う。ターンテーブルは今週中に買う。

 

P.S. 3月22日。一人暮らしの寂しさはすぐなくなった。自分の裁量で家をどうにでもできる楽しさが遥かに上回っている。面白い。仕事とかしてる場合ではない。