blog non grata

人生どうでも飯田橋

貧乏になりたい

 貧乏になりたい。貧乏になって猫と共生したい。これだけを見ると――いや、これから先を読み終わったあとでさえも――貧乏な境遇で苦しんでいる人にとってこれは全く理解しがたい痴れ言のように感じるだろう。もしかしたら殴りたくなるかもしれない。しかし、私は貧乏になりたい。ストーブも何もない簡素な部屋で、拾った猫と共に暮らす。部屋の隅でくっつきながらお互い暖をとることで寒さを凌ぐ、そんな生活に憧れている。

  私は現在、アルバイトを含め仕事を全くしておらず、実家暮らしをしている25歳大学生(休学中)だ。父は自由業で、しかも頑なに自分の年収を言いたがらないので、実態が不明であり、虚勢を張ってるだけで膨大な借金がある可能性がないとは言い切れないが、少なくとも今の暮らし向きは悪くない。なにはともあれ、そんな実家で私は親のスネかじり虫をしている。寄生虫パラサイトである。

 自らは一銭も稼いでないのに何も不自由なく暮らすことができている。部屋は暖かいし、冷蔵庫を見れば食材が揃っている。服にも困らない。Wi-Fiも速い。テレビをつければ親が契約しているDAZNNetFlixを見ることができる。これは、確かに物質的な豊かさこそあるけれども、精神的にはとても貧しい。理不尽なことで嫌味を言われ続けながらやっていた宿直で稼いだお金で、ボロい学生寮で凍えながら暮らしている時の方が豊かだった。今の私は社会的に見れば完全なフリーライダーであり、孤立している。社会との関係性は完全に一方通行、与えられるばかりであり、私が寄与しているものは何もない。まるで人間的でなく、家畜の安寧を享受する飼い慣らされた豚とでもいった方が近い。

 学生という肩書だけある半ばニートのような状態であるが、いちおう何もしていないわけではない。日中は資格試験の勉強に勤しんでいる。ただ、自分の頭の中には日々いろいろな知識が詰め込まれていくものの、それだけなのだ。もちろんそれで終わりではなく、本当は資格を取得した後(それは当然ながら確約された未来ではない)、その知識を活かすための準備期間であるのだけど、現在の状態だけを切り取れば、やはり私は知識が増えていくだけの豚だ。なんなら知識の習得と同時に忘却していてる。

 それなら、極寒の部屋、猫とふたりで暖をとるような貧乏生活の方が余程豊かではないか、と思う。猫と共生できれば、関係性が一方通行ではなくて双方向になれる。もちろんこれは貧乏なだけでなく、猫がいないといけないんだけど。いや、もういっそのこと猫になればいい。猫になりたい。寂しい夜が終わるまで君の腕の中にいたい。

 

 

 以上は、暖かい部屋でなされた豚の妄想を文字に起こしただけの駄文である。蔑みながら嘲笑していただければ結構であるが、どうか殴ることだけは勘弁してほしい。あ、そろそろ餌の時間だ。