blog non grata

人生どうでも飯田橋

合格体験記、のようなもの

 昨年2022年の8月に公認会計士試験が終わってからもう半年以上、11月の合格発表からも4ヶ月以上経ってしまった。随分と時間が経ってしまったが、今更ながら合格体験記、のようなものを残しておく。

 あえて「のようなもの」とつけているのは一般的なそれとは大きく異なるからである。合格体験記というのは、働きながら、とか超短期で、とか成績上位で、とかそういう人たちによって、受験生のために書かれるものである。僕のように、何年もかかって、落ちまくって、受かった年もギリギリの偏差値で、突出した科目もなく、しかも親の脛を齧りながらずっと専念していて時間たっぷりあったような人の合格体験記などそもそも参考にはならんのだ。試験なんて、「うーん、このへんかな!」とか言って合格と不合格のラインが決められているだけなので、その周辺の人たちは本当にたまたま受かっていたり、たまたま落ちたりする。短答式試験なんてもうそれこそ運の要素はめちゃくちゃ大きい(短答の合格率をもっとあげて、その分論文の合格率を下げたほうが、試験としては健全だと思う)。会計士試験に限らずあらゆる試験で、「受かる人と落ちる人との根本的な違いは...これだぁ!1,2,3!!」みたいなことを言う人がいるけど、そういうこと言う人は後から結果論でカッコつけているだけで、そんな根本的な違いなんてものはない。1200人受かったとして、1200位と1201位の人にそんな根本的な差なんてあるはずがない。そこにあるのはほぼ運だけだ。だから受験生は運に左右されないレベルの実力をつけることを目指すべきだし、自分もそのつもりだった。でもそれはできなかった。だから僕のような人間が、こうやって勉強してました!とか言ったってあんまり参考にはならない。

 そういうわけで、特に科目ごとの勉強法などを語るつもりはない。というかそんなものは忘れたし、それが理路整然と語れるような、それこそ一般的な合格体験記を書けるような容量の良い人だったらこんなに苦戦しないだろう。僕はただ、この数年間かけて挑んできた試験を振り返りたくて書いてるだけだ。一応結構大変だったし、年数もかかっているし。ちゃんと腰を据えて総括せねばならないと思った。要は、ただの自己満足で、このブログは受験生に対しては何も寄与するものはないと思う。まあ反面教師としての役割はあるかな。これから色々書いてくけど、こんな怠惰なやつでも、最終的には(運が良ければ)受かることもあるんだなという気休めにはなるかもしれない。ただ、あくまで自己満足。

 くだらん前置きが長くなった。そろそろ本題に。この資格の存在を知った(それまでも公認会計士というワードは知っていたかもしれないが、せいぜいレジ打ちがめっちゃうまい人たち、くらいの認識だったと思う)のは大学3回生、2016年の夏である。大学休学中で、ふらふらしていた。7月に1ヶ月ポーランド行っていて、8月後半は中国のウイグルカザフスタンに行っていたのだが、その間数週間だけ日本にいて、ちょうどその時にこの資格の興味を持ち始めた。きっかけはよく覚えていないが、一応大学3回生で、周りはインターンとか行き始める頃だったので、将来について考えようと言うことで興味を持ったのだと思う。とりあえず国見健介『公認会計士の「お仕事」と「正体」がよ~くわかる本』を買った。2016年8月16日。ネットでこう言う時に正確な購入日がわかるのでべんり(この日付を特定したことで何がべんりになったのかはよくわからないが)。

 しかし本格的に勉強を始めるのは、2018年の年末のことになる。その間何をやっていたかは正直よく覚えていない。資格の興味を持って最初に読んだ本が国見さんのだったこともあって、とりあえずCPAの簿記3級と2級の講座はやっていたけど、本番の試験は、当日に寝坊したんだか、単に勉強不足で点が足らなかったのか覚えてないけど、一回も受からなかった。ちなみに2023年4月1日現在、簿記2級はおろか簿記3級も持っていない。一昨年、1回目の論文落ちた後(2021年11月)にも簿記1級を飛び級で受けたけどそれも落ちた。あと実は2017年の12月の短答をお試し受験している。あまり記憶はない。自己採点もしていないと思う。

 プルーストもびっくりというごちゃごちゃな時系列になってしまった。まだ簿記の勉強ちょっとやったけど全然あかんかったという話しかしてない。ということで時は2018年9月。その時すでに大学5回生だった(3回生の時に1年休学していたので当然である)が、会計士試験をちゃんと受けようと決心するきっかけとなるイベントが発生した。CPA梅田校の開校である。というのも物の管理がすこぶる苦手な自分にとって、もし勉強するならiPadだけで勉強しようということは決めていた。そのため、予備校選びはPDFテキストに唯一対応していたCPA一択だった。そして、当時住んでいた(今も住んでいるが)寮には友達がうじゃうじゃいて、ともかく人と喋るのが好きな僕にとってはまるで勉強できるような環境ではなかった。寮で勉強できるはずがない。よって通学一択だった。しかし関西にCPAはなかったので断念していた。まあ、断念するには弱すぎる理由で、つまるところ、覚悟がなかった。

 そういうわけで初代CPA梅田校生として晴れてCPAに入学(入塾?)し、2020年目標として勉強をスタートした。まあそこで決心してからなぜか1ヶ月ポーランド旅行(2018年11月)を挟んでいる。この意思決定はマジで意味不明だった。はよ勉強始めろや。ちなみに当時の梅田校は、開校と同時にCPAに入ってきた(おそらく)、塾長(たぶん)の監査論の松本先生が常に窓口にいて、ちょっとここわかんないんすよーとか言って気軽に聞けるような感じだった。売価還元法とか教わった記憶がある。

 まだほとんど何も勉強しておらず、数年かけてやっと予備校に通い始めたところだが、ちょっと予想以上に長くなってしまったので、ここで一旦区切る。続きはまた今度。